色のアラカルト:日本人の青と緑㉕ 江戸時代(下) 後編

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日本人の青と緑㉕


前回、江戸時代にやって来たオランダ語のblaauwについて紹介しました。
blaauwはベロ藍の色を示す言葉として有名になりますが、ベロ藍が職人や庶民の色彩体験を変える前に、学問の世界では全く違った動きがありました。


◆ニュートン光学の"blaauw"

蘭学者である志筑忠雄(しづきただお)は『暦象新書』(1798~1800年)の中でプリズムによる光の分離について紹介しており、スペクトルの色名が出てきます。この書は日本においてニュートン光学を最初に取り上げた文献です。

志筑忠雄『暦象新書』(写) より抜粋
@早稲田大学図書館

プリズムのことを「三斜鏡」と表し、「明暗の際に起る暗に接て而も光明濃きはをなし其次はをなす暗に接て光明淡きはをなし其次はをなす」と書かれています。

意味は「明暗の際に起こることだが、暗い部分に接していて、しかも光が濃いものは赤となり、その次は黄となる。暗の側に接し、光が淡いものは青となり、その次は緑となる。」といった感じになります。


そもそもニュートンの『光学 (Opticks)』(1704) は英語で発表されました。スペクトルはred, orange, yellow, green, blue, indigo, violetと分類されていますが、それがそのまま蘭学者に伝わったのではなく、やはり蘭書を介していたそうです。オランダ語では前述の通りgroenが英語の green に、ベロ藍のところでも紹介したblaauw (現代綴り: blauw)という単語が英語の blueに対応しています。また、indigoはそのままindigoであったはずです。

groen (ぐろうん)は辞書『倭訓栞』1830年版の「みどり」の説明に登場していますが、blaauwは「あを」の説明に出てきません。

それどころか、『倭訓栞』の「あを」の説明では
桃花襲 — 襲の色目(植物由来の色調)
青梅 — 熟す前の緑の梅
松葉紙 — 松葉色、すなわち緑
青草 — 文字通り緑の草
青草束(神代紀)— 同上
このように植物の例しか出てこないのです。「すなわち緑」という説明も凄いです。

1830年になっても一般の青認識はこのような状態なのですが、志筑忠雄はblaauw_indigoと出ている記述を基にして、1800年頃にgreen部を「緑」その隣を「青」と表現したのです。自身が具体的にスペクトルの色相をイメージできていた保証はありませんが、「青」の主軸が長らくgreen系である中、何の補足説明もなく唐突に「青」としたことには何らかの理由があったはずです。



『暦象新書』は「緑」と切り離した「現代的な解釈の青」が確認できる最初の記述だと思います。古事記の時代から追ってきましたが、ついに「緑」と並列の「青」が出てきたのです。

色々と探したのですが、これより古い文献の「青」はいずれもちょっと違う感じがします。顔料を扱う人などはオランダ語を訳す機会もあったと思いますが、微妙な色味を表現する必要があるため「単独の青」を商品名に使うことはあり得ません。

ただ、どうして「青」で良いという判断に至ったのでしょうか?
実際のスペクトルには明瞭な境界がある訳ではありません。現在では国によって認識が異なり、例えばドイツでは5色で表されています。日本においてはニュートンが示す通りの7色で、blueが青でindigoが藍です。

みなさんはこちらの絵本をご存じでしょうか?

ウル・デ・リコというイタリアの画家の"THE RAINBOW GOBLINS" (邦題は『虹伝説』)という絵本で、虹を食べる7人?のゴブリンの物語です。近年、海外を中心にジャパニーズフュージョンが盛り上がりを見せていますが、ギタリストの高中正義がこの美しい絵本に魅了され、コンセプトアルバム『虹伝説 THE RAINBOW GOBLINS』を発表したことはよく知られています。アルバムも絵本も非常に素晴らしいです。今で言うメディアミックスで、アルバム発売の直前にこの絵本が発売されました。

ひとまず、この絵を見る限り3番目の光は「blue, 青」で自然な感じがしますね。イタリアと日本の認識は近いのだと思います。ただ、英語圏のアメリカとイギリスでは6色で、blueとindigoを区別しないのが普通だそうです。ニュートンが7色としたのですからせめてイギリスでは7色であってほしかったです。



太陽光のスペクトル図

こちらの図で説明しますと、スペクトルはgreenから右に、blue_indigo_violetと進みますが、blue はlight blue~blueという感じになると思います。水色・空色はblueに含めるしかないですよね。そして、indigoがあることで、dark blueはindigo領域に入るはずです。そうすると、blue領域のど真ん中はかなり水色に寄っている状態かもしれません。blueを示す代表だけは、その時々でかなり変わるのですが、上図を均等に分けると下図のような感じになると思います。

red orange yellow green blue indigo violet


ただ、こうなるとindigoのところは「青」と答える人が多いのではないでしょうか。中国では「蓝」で問題ないと思いますが、日本古来の「藍」とはかなり違います。

indigo?


それに、blueのところは一番特徴的な水色(空色)にした方が良さそうな気もします。
これらの懸念を解消した上で、現在の日本の色認識で表現するとこうなります。

水(空)


実際に、虹の表現ではこっちの配色の方が多いです。先の絵本とは3番目がかなり違うのです。ただ、理解が分かれて当然だと思いますので、青の幅が広いことを自覚した上で6色とした方が遥かにわかりやすいですね。

ひょっとすると、ニュートンが3番目をblueとしたのがあまり良くなかったのでしょうか。他に選択肢がなかったのかもしれませんが、万人が水色寄りを思い浮かべやすい色名にされていれば、アメリカやイギリスでも7色になったような気がします。


blueはblaauwという形で日本にやってきましたが、長崎での貿易に絡む一部の人たちだけはベロ藍やニュートン光学が来る時代よりも先にblaauwを知っていた可能性が高いと思います。例えば、交易品として高価な天然ウルトラマリン (原料: ラピスラズリ)の説明を受ける際には「オランダ語だとこの色はblaauw」のように紹介されたこともあったはずです。

ラピスラズリ(瑠璃) ウルトラマリン


ニュートンのblueとは少し印象が違いますね。ラピスラズリは紫の要素も入っている感じがしますので、振り分けるならindigoだと思います。そもそもオランダのblaauwと英語のblueの定義がズレていたのかもしれませんが、異なる言語あるいは異国間、さらには時代でも変わってくるのでは、といった話なのでこれを解明するのは至難の業です。


一方、志筑は蘭書で groen _ blaauw _ indigo _ violet といった色名の羅列を目にしたはずですが、調査の結果まずは次のように考えたのではないでしょうか。

  • blaauwindigoの実例を見ると純粋な藍染色に近い感じなので、藍染めの手法から濃紺から黄までの並びについてはよくわかる。

    こんな感じに想像していたはず
    (本来、青は左から2番目と3番目だけ)

  • 純粋な藍染色は古来より縹と呼ばれていて、暗部の側に近いindigoであれば藍や紺を当てることができそうだが、blaauwに当たる「染める回数が少ない縹」には適切な色名がない。つまり、藍染めで生まれる色を2つに分ける習慣はない。

  • 最後に紫が来るようだが、理解できない


実際、志筑は7色それぞれに対応する訳語を最後まで示していません。スペクトルという現象の構造そのものが、波長概念のない当時の枠組みでは掴みきれなかったと思います。

ここで注意すべきは、先に現代語訳した一節の「光明濃き」「光明淡き」という整理自体が、おそらく志筑のオリジナルだということです。志筑が原典から確実に掴めたのは、色名の配列という事実だけだったはずなので、「明暗顕漠」の感覚を用いて、片端を「暗部に接する明るい光=赤」、もう片端を「暗部に接する淡い(曖昧な)光=藍染色」と整理してみたのでしょう。

この整理の中で、明るい側に赤が来るというのは伝統的な感覚にそのまま重なります。青側についても、紺・留紺(とめこん)・褐色(かちいろ)を経て「ほぼ黒」へと至る藍染めを重ねることで作られるグラデーションは実感できていますから、「藍染色」を「暗に接した側」として置くことに違和感はなかったでしょう。

留紺 褐色


ただ、問題は「藍染色」と「暗」の間に紫(violet)が挟まることです。violet=紫という訳語自体は志筑も知っていたはずですが、それがスペクトル末端に現れるのは唐突で、理解を超えていたでしょう。藍染めを重ねても紫にはなりません。「紺→褐色→黒」なら理解できても、「紺→紫→黒」は伝統的色彩感覚では説明がつかないのです。

このように意味不明なところに、indigoblaauwを区別して当てる日本語の単独色名の不在も重なりました。そこで志筑は「赤・黄」と「緑・青」の2組の説明で終わらせることにしたのです。意味の不明な箇所と訳語の与えにくい箇所をまとめて棚上げし、blaauwvioletの一帯を漠然と「青」にしたことになります。

淡く沈んだ領域を一括して引き受けるのは、もともと「漠」の本領だったのですから、「漠」から発生した「青」の真骨頂だとも言えます。つまり、志筑は最初に「blaauwを青と訳した」人物という訳ではなく、辛うじて整理できた範囲を「青」で受け止めただけなのでしょう。

ただし、何よりも日本において「青」と「緑」を分けたことはあまりにも重要な意味を持ちます。ぼやっとしてはいますが「青の再定義」と言えるのです。


◆まとめ

学術の世界で「緑」の隣のスペクトルがオランダ語の blaauw を介して「青」と表現されました。このブログでも初めて登場した「現在の青」に近い定義です。「blueもindigoも青」といった、幅がある認識だったと思いますが、「青」から「緑」の領域が除かれ、完全に2つの色が並列に扱われたのは日本では初めてだったはずです。利便性が高いと感じた人もいたのではないでしょうか。

志筑忠雄は「鎖国」という言葉の生みの親としても知られる人物です。今だと間違いなく新語・流行語大賞でしょう。この造語センスを踏まえると、彼以前に「青」をblue周辺の色に限定する解釈はなかったような気がしてきます。つまり、「現在の青認識を作ったのは志筑忠雄」という可能性が高いと思うのです。

ただ、当然ながらこの情報が庶民に届くはずがありません。ほんの一握りの知識層だけが知り得た「青」の新用法ということになると思います。1830年版の『倭訓栞』に何も出ていないので、少なくともその時点で全く広まっていないことは明白です。古来より続く「青の基本はgreen系」の認識を崩すことは容易ではないのです。


いよいよ、次回が「日本人の青と緑」の最終回です。
ついに今と同じ認識が庶民に広がり、現代に繋がります。お楽しみに。


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当記事には筆者の推察が数多く含まれています。また、あくまでもInfigo onlineに興味を持っていただくことを目的としておりますので、参考文献についての記載はいたしません。ご了承ください。
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