色のアラカルト:日本人の青と緑㉓ 江戸時代(中)

日本人の青と緑㉓


前回は魚の色の解釈から江戸時代の青認識を考察しました。

①色名:渋いgreen系
②色調名:灰がかった色などの曖昧な状態、あるいは明度が極めて低い「ほぼ黒」の状態

③色グループ名:blue系~green系を完全に網羅
④植物全般、葉緑素の色味
⑤若く未熟な状態

これらの内、③色グループ名の機能の維持を確認し、②色調名の機能はフェードアウトする段階にあったと推察しました。また、本草書では「青」の字が避けられていたので色相に関してはよくわかりませんでした。

今回はこの時代の「青」の①色名④植物全般、葉緑素の色味についての検証です。


◆植物の青

まずは植物の青です。
ここでは万年青(おもと)を紹介します。

オモト(万年青、Rohdea japonica)

万年青はスズラン亜科の常緑多年草で、名前の通り冬でも枯れず、一年を通して濃い緑色の葉を保ちます。このネーミングによって、「植物の緑=青」という古くからの感覚が残っていることが確認できます。

江戸城本丸完成の祝いに徳川家康が万年青を献上され大変喜んだというエピソードがあるのですが、その後家康が長寿であったことや、江戸幕府が長く続いていたことで、縁起物として転居の際にまずは万年青を運び込むという「引っ越し万年青」の風習が生まれました。

万年青は大名や旗本の間で園芸ブームを巻き起こしましたが、珍しい品種には驚くほどの高値がついていたそうです。ブームが最高潮に達したのは天保年間(1830〜1844年)で、武家から始まった熱狂はやがて庶民にも広まりました。階層を問わず共有されていた植物の「青」です。


植物の青は「青物」という言葉でも確認ができます。
ブリやカンパチのような青い魚にも使われる言葉ですが、江戸時代では野菜が一般に「青物」と呼ばれていました。

慶長年間(1596〜1615)に始まった神田青物市場は、江戸の食を支えた最大の野菜市場で、「やっちゃば」の通称で知られました。神田・駒込・千住が「江戸三大やっちゃば」と呼ばれています。1714年には幕府がこうした市場に「青物役所」を設置し、江戸城への野菜上納を管理するようになりました。公的な役所名に「青物」が使われていたのですから、④植物全般、葉緑素の色味という機能が常識的なものであったとわかります。


青物横丁も有名ですね。東海道五十三次の一番宿は品川宿ですが、この宿場町の一番南側が現在の京急青物横丁駅周辺になります。この辺りに収穫された野菜を農民が持ち寄って取引する場所がありました。

ただ、これが市場として正式に認められたのは明治に入ってからだそうです。「青物横町」という俗称が江戸時代から人々の間で使われていたようで、明治になって初めて制度が実態に追いついた形になります。

(画像: 青物横丁商店街振興組合)


そうすると幕府はこの場所での取引管理をしていなかったことになります。江戸城へは千住と同じかこちらの方が近いくらいですので、自由に取引できていた理由を少し調べてみました。

理由となりそうな要素は

・農民直売という形態→問屋を通さない→株仲間制度の管理対象外
・宿場町の消費に配慮_参勤交代における重要な地点でもある
・市場は町奉行の管轄で、宿場は道中奉行の管轄
・この辺りは半農半漁→小規模な近郊農村→取引量が小さかった可能性

このような感じですが、おそらく管轄違いというのが大きいと思います。町奉行所でもここでの売買は認識していたはずだと思いますが、奉行所を横断して仕事するような習慣はなかったのでしょう。明治になって初めて公式に「市場」として認められましたが、このタイムラグは江戸幕府の縦割り行政の痕跡と言えるのかもしれません。

明治37年に「青物横町」という駅ができますが、いつ「青物横丁」に変わったかはわからないと書かれていました。ここは駅名に「横丁」が付く唯一の駅だそうです。


◆青漆

いよいよ江戸時代の青の色相です。
まず取り上げるのは漆です。通常の赤や黒の漆塗料に加え、黄漆(きうるし/おうしつ)と青漆(せいしつ)という2種類の漆が開発されました。どちらも15世紀か16世紀には使われていたようなのですが、広く使われるようになったのは江戸時代です。

青漆
#184212

黄漆は漆に黄鉛(クロム酸鉛を主成分とする黄色顔料)を混ぜたもので、青漆は黄漆にさらに藍などを加えたものです。

青漆椿蒔絵梅椀
江戸時代
鵬雲斎好写
叩黒塗 内青漆 天目台
(画像: MIHO MUSEUM) (画像: 静友堂)

江戸時代の実物はくすんでいて、少し沈んだような緑です。こういう色を「日本の青」と感じるのであれば「青」の歴史を相当に知っている人です。

京都・大阪・江戸の風俗を紹介した「守貞漫稿(もりさだまんこう)」という江戸時代の書に、「合羽の色材に青漆が使われている」「江戸の菓子屋の看板に青漆が使われている」と書いてありますので、「青漆」は後から作られた名称ではないですし、汎用的な言葉であったことも伺えます。

さすがに江戸時代ともなると「緑」という色名も一般的であったはずなのですが、この濃い感じのgreenはやっぱり「青」で問題なかったようですね。ど真ん中であるかはわかりませんが、少なくともこの時代の「青」に相変わらず渋いgreenが含まれていたことは間違いありません。


◆青本

江戸時代には挿絵が多く入った「草双紙(くさぞうし)」という大衆向けの読み物がありましたが、表紙の色によって「赤本」「青本」「黒本」「黄表紙」のように分類されています。寛文(1673~1681)から寛延(1748~1751)までが赤本の刊行時期で、黒本と青本は1744~1774年あたりに刊行されていたそうです。

その色ですが、赤本は丹色、黒本は墨、青本は萌黄色とされています。黄表紙はもちろん黄色です。青本の表紙が色落ちして黄色くなってしまうため、どうせならと最初から黄色にしたのだそうです。

萌黄色
#86B81B


こちらは大河ドラマ「べらぼう」に出てきた青本です。

(画像: NHK)

確かに萌黄色ですね。「青」のメインがgreenであったことがわかる例と言えますが、瑞々しいという意味の「初代の緑」だと思います。こんな色まで単なる青なのでしょうか。
ここまで鮮やかだと疑問が生じます。着物やお茶のような伝統的な世界においてはこうした色を「青」と呼ぶことがあるのかもしれませんが、「緑」という言葉がある以上ここで「緑」を使わない意味がよくわかりません。

現存している「青本」を確認しましたが、全て色落ちしていてよくわかりません。

赤本
はちかつぎひめ
青本
臥夜黒牡丹
(画像: 国立国会図書館デジタルコレクション)

これらは実物の画像です。赤本は丹色が強く残っていますが、青本の表紙は色がほとんど抜けています。青みの成分は蓼藍(たであい)だったと思いますが、大衆向けの廉価な物ですから、簡易に刷毛塗りしていたのでしょう。ここから元の色を割り出すことは難しいはずです。

「青表紙が黄色くなるので黄表紙が生まれた」ということを踏まえると、緑に染める技法と同様に苅安や黄蘗のような黄色色材を下地にしていたことは間違いありません。藍を重ねる回数・量によって色味が変わります。

黄蘗 萌黄色
#D5CC56 #2B6492 #86B81B


ひとまず「萌黄色」がどこからの情報なのかということが気になりますが、大田南畝(おおた なんぽ/ 1749-1823)という人の「半日閑話」という随筆のようです。他には見当たらず、この記述に頼っている状況のように思えました。

大田南畝 「半日閑話 巻之13」/ 息陋舘覃著
(画像: 筑波大学附属図書館)

写本ですが、確かに「萌黄色の表紙」と出ていました。著者の自宅に青本が三冊あり、萌黄が黄色に変わったとあります。萌黄色と公表されていたのか、著者が萌黄色と判別したのかはわかりません。

すぐに色が落ちたということはもうちょっと淡いのかもしれませんね。平安時代の襲色目(かさねいろめ)に「萌黄の匂」という配色があり、より淡い萌黄・淡萌黄・萌黄・濃萌黄という4段階の萌黄に紅という組み合わせだそうです。

より淡い萌黄 淡萌黄 萌黄色 濃萌黄
#9BCF97 #93CA76 #86B81B #32540A


より淡い萌黄は浅緑と同じ色です。むしろ、右から二番目のノーマル萌黄色以外であれば「青」として受け入れやすい気がします。濃萌黄に至っては典型的な「青」ですね。こういう色の可能性もあるのでしょうか。ただ、色落ちしたということを考えれば淡萌黄くらいですかね。

ここで念のために一つ検証しておきます。
以前紹介しましたが、ネギの色味が元になっている「浅葱色(あさぎいろ)」という色があります。この色は古くから「浅黄色(あさぎいろ)」という薄い黄色と混同されていたことがわかっています。昔は文字の使用頻度が今よりも低いでしょうから、同音異義語は混乱して当然なのです。

これと同じようなことが「萌黄色」に起きていたとすれば「萌葱色(もえぎいろ)」という色と混同していた可能性もあるのではないかと考えました。写し間違いなどではなく、純粋に筆者である大田南畝が混同していたのではないかという疑念です。

萌葱色はこういう色になります。作り方は基本的に萌黄色と同じです。

黄蘗 萌葱色
#D5CC56 #1D3156 #006D4D


萌葱色を詳しく調べたところ、
「アオネギ(青葱)が土から地上に出ている部分の色で、もともとは萌黄色と書いていました。黄みの緑も萌黄色といわれるようになり、それと区別するために萌葱色と書くようになりました。明るい色が萌黄色、濃い色が萌葱色です。」
という記述を見つけました。

これ以外にも色々な解釈がありましたが、古くは全て「萌黄色」であり「萌葱色」という色名がなかったことは間違いありません。

さらに調べると「萌葱色」の表記は江戸時代中期になって広まったということがわかりました。歌舞伎で見られる定式幕(じょうしきまく)に入っている緑が萌葱色だそうです。

定式幕
黒-柿色-萌葱 黒-萌葱-柿色
森田座式/ 歌舞伎座 市村座式/ 国立劇場


「赤本 - 黒本 - 青本」だったのですから、歌舞伎っぽく本を並べられるようにしていた可能性も十分にあると思いませんか。

とは言え、大田南畝という人は幼少から学問に秀でていた狂歌師であり、浮世絵の研究もしているので、この時代の文化に精通した知識人だと言えます。そうすると、定式幕が萌葱色であることも知っていたと考えるのが自然なのですが、広まったのが江戸時代中期ということであれば、古い理解のままであった可能性もわずかにあるため、一応ここではこの2種類の色を青本表紙の候補にしておきます。大河ドラマで使った萌黄色はちょっと鮮やか過ぎると思います。

萌葱色 淡萌黄
#006D4D #93CA76



◆まとめ

江戸時代に入っても青に関してはあまり変化が見られませんでした。

なお、⑤若く未熟な状態についてはずっと触れていませんでしたが、「青二才」という言葉が江戸時代から使われるようになった言葉だそうで、改めて整理しますと

①色名:green系全般
②色調:×

③色グループ名:blue系~green系を完全に網羅
④植物全般、葉緑素の色味
⑤若く未熟な状態

こうなっています。

色調機能は概ね退化していたと思いますが、青毛やアオサギのような意味を考えずに使う「昔の青」はたくさんあったはずです。また、青本の例から18世紀半ばまで色相がgreen系のままであったことは明白です。青=blueとなるのはもっと後なのですね。


次回は江戸時代終盤の19世紀を見ていきます。
西洋から新しい「青」がやってきます。お楽しみに。


                                                                  ㉓   

歌は見た目よりも音   

神武東征その後   
クロダイ認識の混乱   
日本書紀の海鯽魚(神功皇后)   
賀茂伝説   
古墳築造の時代背景   
平安時代の緑   
SN 1181   
茶の湯の継承   


当記事には筆者の推察が数多く含まれています。また、あくまでもInfigo onlineに興味を持っていただくことを目的としておりますので、参考文献についての記載はいたしません。ご了承ください。
一覧に戻る