色のアラカルト:日本人の青と緑⑦ チヌと鯛(下)

日本人の青と緑⑦ チヌと鯛(下)


今回は「チヌと鯛」の完結編です。
クロダイとマダイの認識・評価がどうであったかを探るべく、呼称についてさらに調べてみました。

◆最初の「鯛」

まずは文献上の最初の「鯛」を紹介します。
初登場は万葉集の長意吉麻呂(ながのおきまろ)という人が詠んだ、西暦700年前後の歌だそうです。

醤酢尓 蒜都伎合而 鯛願 吾尓勿所見 水ク乃煮物
(ひしほすに、ひるつきかてて、たひねがふ、われになみえそ、なぎのあつもの)

意味は「酢醤油にニンニクをつぶして鯛を食べたいな。ミズアオイのお吸い物なんか要らないよ。」です。

ミズアオイ

妙な歌ですが、「酢、醤、蒜、鯛、水葱を詠める歌」という題名が付いていて、宴会で出されたお題の回答のようなものだそうです。
万葉集に選ばれたということは、一本取れたのでしょう。

何にしろ西暦700年ですから、古事記編纂時には「鯛」と言う呼称があったことになりますが、古事記にこの字は登場しません。
太安万侶が「鯛」という字を知らなかったとは思えませんので、やはりリアリティを追求して使うことを避けたのでしょう。

この「鯛」という字が当てられるまでには「読みだけ」の時期もあったはずですし、宴会のお題に出るくらい馴染みがある言葉なのですから、庶民に広まっていたかはさておき、飛鳥時代の中頃くらいには「タイ」の呼称が存在していたのではないでしょうか。

また、この鯛がご馳走であったことも伺えます。
しかも、酢醤油にニンニクということは生で食べていた可能性が非常に高いと思います。

マダイのことだったとは思いますが、当然ながらクロダイ、マダイ共にお刺身でいただけますので、この歌の鯛がクロダイであった可能性も残ります。

クロダイの刺身 マダイの刺身


割合についてはわかりませんが、縄文時代の貝塚からはクロダイの骨もマダイの骨も出てくるらしいです。日本人は大昔から両方食べているのですね。
縄文人が魚をどう指し示していたのかも気になります。

出土した骨から調理方法も分かるらしく、焼いた方が堅牢になって残りやすくなるそうです。
生や蒸して食べた場合は保存状態が悪いそうですが、マダイの場合は骨格が頑丈なため、どんな調理をしても残るようです。



◆タイとクロダイ

「タイ」の語源については
「平らな形をしている魚」→「平ら=たいら(たひら)」→たい(たひ)
という説が有力だそうです。

ただし、その一番の根拠が延喜式(927年完成)という法令集に、鯛の別名として「平魚」と書かれていたことだそうです。
少し弱いですよね。諸説あって当然だと思います。

ここで「タイと言えばマダイ」であったのかがどうしても気になるのですが、この由来だと限定はできません。

つまり「鯛」が最初からグループ名であった可能性もあることになります。
日本の海にはタイ科の魚が13種(比較的メジャーなのはマダイ、チダイ、キダイ、クロダイ、キチヌ、ヘダイの6種)いますので、どれであっても「鯛」と呼ぶ可能性はあります。現代でもチダイ、キダイについては「鯛」としているケースがかなりあると思います。

ただ、クロダイを鯛やタイとしているのを見たことはありません。
クロダイとマダイを見ると、これだけビジュアルが違うのに同じ呼称で満足していたとは考えづらく、やはり鯛と言えば少なくとも赤かったのではないでしょうか。

クロダイ マダイ


クロダイにはチヌという呼称もあるのですから、昔から赤い魚とは区別されていたはずです。少なくとも近畿地方では「タイは基本的にマダイを指し、チヌがクロダイのこと」であったと思います。

なお、江戸時代に「正真正銘の鯛」という意味の「真鯛」という呼称が生まれたようです。タイが付く名前の魚は他にもたくさんいますからね。



◆最初の「クロダイ」

初登場は平安時代の和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)という辞書のような書物で、「久呂太比(くろたひ)」と出てきます。
実はチヌもこの書物が初登場で「海鯽(ちぬ)」と出てきます。

しかしながら、これが私たちの知るクロダイであるかはわかりません。
クロダイの呼称については学者達も長く混乱していたようです。
その様子をクロダイ認識の混乱にまとめましたので、詳しくはそちらをご覧ください。

おそらくは以下のような理由により、混乱しやすい状況であったと考えられます。
・タイと付く魚が多すぎる
・「黒+鯛」という単純な名称は他にも候補が出てきやすい
・クロダイは活動環境によって色味に違いが出る(黒くないのもいる)
・生息域が広く地方名が多彩
・チヌというメジャーな呼称が存在する

とにかく謎だらけなのですが、和名類聚抄以降、江戸時代の文献が出るまでの間「クロダイ」の記述はほとんどありません。
「チヌ」も全く登場しないのです。

クロダイは東京湾にもたくさん生息しています。
江戸時代になると「クロダイ」という呼称は頻繁に使われていたと思いますが、東京湾の沿岸地域では大昔から「クロダイ」と呼んでいた可能性があります。
ただし、それを裏付けるものはありません。

 

◆マダイの古称

次はマダイの古称について考察します。
おそらく鯛は飛鳥時代から「たひ」ですので、もっと前にどうであったかを探ります。

◎山幸彦と海幸彦

ここで「赤海鯽魚」が登場する「山幸彦と海幸彦」に触れておきましょう。

ほとんど同じ話が日本書紀にもあり、浦島太郎の元ネタとされています。
日本書紀では「鯛」という字も出てきていますので核心の部分を紹介します。

古事記と日本書紀とでは色々と違う点があるのですが、この魚の登場場面だけを取り上げるとはほぼ同じです。

古事記と日本書紀の内容を「/」を使って同時に表している部分があります。A/Bのようになっている箇所は、Aが古事記、Bが日本書紀になります。また、便宜上山幸彦を「弟」、海幸彦を「兄」と表記します。


兄は海幸彦としていろいろな魚を、弟は山幸彦としていろいろな獣を獲っていました。ある日、弟が兄に、たまには互いの道具(釣り針と弓矢)を交換しないかと提案します。兄は乗り気ではないものの渋々交換に応じますが、両者とも慣れない道具で結局何も獲れません。

全然上手くいかないので兄がもうそろそろ元に戻そうと言うのですが、弟は釣り針を紛失していて兄を激しく怒らせてしまいます。

そこで何とか解決しようと識者に相談し、弟は海の先/底 にある海の神様の宮殿に行きます。

その後、針の件を聞いた海の神様が全ての魚を集めたところ、赤海鯽魚(あかきうみふなうを)/赤女(あかめ) が、喉を詰まらせている/口を怪我をしている という有力情報を得ます。



日本書紀では補足説明で「赤女は鯛魚(たひ)の名なり」としています。すでに鯛が一般的だとわかる注釈ですし、「鯛と言えばマダイ」とされているような感じもします。
(注釈の後は「赤鯛」「鯛女」と、なぜか安易に「鯛」の字を使って雌の赤い鯛であることを強調しています。)

ただし、「鯛」が一般的であったにも関わらず、記紀のいずれにおいても登場キャラクターに「鯛」と言わせていません。
つまり「鯛」をNGワードとしている訳ですから、古くにはその呼称がなかったということがわかります。

物語のこの部分は、赤い鯛が針をくわえて不調だったことで、失った針が見つかるというくだりになるのですが、ここでは魚たちが完全に擬人化されています。他の魚が海の神様の質問に返答したりします。


なお、弟の山幸彦は宮殿で出会った海神の娘(トヨタマヒメ)と結婚をします。
そして、楽しく過ごしている間に3年が過ぎてしまいます。

古事記の方では探している針のことを一切相談せずに3年が過ぎています。
「鯛や平目の舞踊り」は無いですが、浦島太郎要素が満載です。


ご存じの方も多いと思いますが、日本書紀にはバージョンがあります。
別の可能性を示唆した同じ話が何種類もあるのですが、この物語のVer2.2とも呼べる「一書2」では、失くした針は「口女(くちめ)」から見つかります。

口女はボラのことで、正真正銘の古称なので注釈がありません。

ボラ

この事件があったことで、御饌(みけ)でボラが捧げられることはないとも書かれています。今でも守られていることでしょう。



◎古称候補の赤女(あかめ)を考える

「赤女」が気になったので調べてみたところ、やはり「鯛の古称」と出てきました。広辞苑でも「赤い色の鯛」となっていますが、この日本書紀の例以外に鯛という意味の「赤女」を見つけることはできませんでした。

魚が擬人化されたストーリーの中、「赤女が鯛である」という注釈の存在はそう書かなければ伝わらないと示しているようなものですから「鯛の古称」というのは言い過ぎなのではないでしょうか。

「赤女」が古語や方言であったために注釈を入れたという可能性はあるのですが、「赤女は鯛魚なり」とせず「赤女は鯛魚の名なり」としていますので、私は「雌の鯛に付けた単なる役名」だと思います。

ちなみに「赤女」を「あかじょ」と読んでしまうと、五島列島でのアカハタの呼称になります。

アカハタ(赤女:あかじょ)


オスでも「赤女」か・・・などと考えてしまいますが、アカハタは全ての個体がメスとして生まれ、成熟するとオスに性転換するそうです。

なお、マダイ・クロダイも特殊で、共に幼生雌雄同体性という性質を持ちます。

マダイは1歳までは全てメスで、2歳頃までに半数の個体の卵巣の横に精巣組織が生まれ雌雄同体となり、そのほとんどが3歳頃までに完全なオスになります。
産卵参加率は3歳で50%、4歳で100%で、その頃のオスとメスは半々だそうです。

一方クロダイは2歳までは全てオスで、その後ほとんどの個体で卵巣が備わるようになり、3歳頃には成熟したオスと雌雄同体とになります。雌雄同体となった大部分は5歳頃までにメスになります。

メスの産卵参加の方がかなり多くなりそうですが、雌雄同体の個体もオスとして参加できるためバランスが保たれているようです。



◎古称候補の赤海鯽魚をさらに考える

赤海鯽魚もマダイの古称候補にはなりますが、実際に庶民がある一種類の魚を「あかきうみふなうを」と呼んでいたとはちょっと考えにくいです。長すぎます。

日本書紀の神功皇后のお話(こちらで紹介)に「海鯽魚」が出てきます。
この魚はおそらくクロダイなのですが、「読みはチヌでもタイでも良かった」という可能性があります。
日本書紀の場合は「大筋が通じるのであれば、それでOK」という姿勢であったと思います。

とは言え、「チヌ」と呼んでいたとしても「知沼」などとすれば良いだけですし、「海鯽魚=タイ」という常識があったとしても、そこまでメジャーだったとは思えませんので注釈がないのは不自然です。

やはり庶民は「うみふな」「うみにいるふな」や「うみふなうを」といった呼び方をしていた可能性が高いと思います。

「鯽」は後から当てた字であり、今でも中国語で「鯽魚」はフナのことです。
「魚」を付けるのは漢語に習っただけで、どう書かれていても読みは「ふな」で問題ないと思います。
中国語ではたいてい魚辺の字の後に魚を重ねます。
タイは鯛魚だし、スズキは鱸魚です。

さらに、直後に出てくる「鯽魚」で問題ないことから、「うみ」すら発音していなかった可能性があるように感じます。
つまり「海鯽魚=ふな」です。
「たい」でも「ちぬ」でも「あかめ」でもなく、「ふな」あるいは「うみふな」と呼んでいたところに、「海鯽魚」という漢字を当てたのではないかと思うのです。

ここで改めてマダイを考えてみます。
古事記の「山幸彦と海幸彦」では「海鯽魚」に「赤」を付け加えてマダイであることを確定させていますが、「赤海鯽魚」という表現は古事記以外には見当たりません。

それにも拘わらず、古事記において注釈無しで伝わると判断しているのですから、「赤海鯽魚」と書かれた魚は鯛しかあり得なかったはずで、庶民もこれに準ずる表現をしていたと考えるのが自然です。

ここではマダイの古称を「赤ふな」または「赤うみふな」としておきます。


まとめ

マダイとクロダイの呼称の推移について整理します。

マダイ
あかふな/あかうみふな(古代)→平魚→「タイ」→鯛(飛鳥時代終わり~奈良時代)→真鯛(江戸時代)→今もマダイ

クロダイ
関東:[不明](古代)→くろだひ(小さい物はちぬ)(時代不明)→クロダイ
関西:ふな/うみふな(古代)→ちぬ(平安時代以前)→今もチヌ

この通り、マダイはある程度わかりましたが、チヌやクロダイという呼称が始まる時期は全くわかりませんでした。
古事記編纂時には「チヌ」の呼称すらまだ無かったかもしれません。
平安時代の初登場クロダイの認識が正しかったかも判別不可能です。


クロダイは沿岸だけでなく河口や汽水湖でも獲れます。
今はなき河内湖(前回記事参照)などは現在の浜名湖によく似た環境であったと想像できますので、クロダイだらけだったかもしれません。

一方でマダイはクロダイに比べ、深いところにいます。
紀元前でなくともマダイを獲るのは大変で難しかったでしょうから、生きるためには岸近くにたくさんいるクロダイがメインターゲットとなり、平たい魚の中では最も身近だったはずです。

「海鯽」がチヌという読みになり、しばらくセンターを張っていたのは必然だったのでしょう。



                  ⑦   
歌は見た目よりも音   
神武東征その後   
クロダイ認識の混乱   
日本書紀の海鯽魚(神功皇后)   



当記事には筆者の推察が数多く含まれています。また、あくまでもInfigo onlineに興味を持っていただくことを目的としておりますので、参考文献についての記載はいたしません。ご了承ください。
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