色のアラカルト:日本人の青と緑㉒ 江戸時代(上)

日本人の青と緑㉒


前回は安土桃山時代の「青」を見てきました。
以下はその頃の「青」が持つ性質です。

①色名:渋いgreen系
②色調名:灰がかった色などの曖昧な状態、あるいは明度が極めて低い「ほぼ黒」の状態
③色グループ名:blue系~green系を完全に網羅
④植物全般、葉緑素の色味
⑤若く未熟な状態

織部焼の暗い緑釉が「青」と呼ばれた背景には、色相と色調の両方を包含する日本独特の青認識があり、①~⑤の要素は戦国の世を経てもまだ健在でした。

そして、今回からは江戸時代の青認識になります。江戸時代は学問が大きく発展した時代です。本草学(薬物学を起点とする博物学)が盛んになり、中国の文献を参照しながら日本独自の観察を加えた書物が次々と編纂されました。代表的なものに貝原益軒の「大和本草」(1709年)や寺島良安の「和漢三才図会」(1712年頃)がありますが、どちらも以前「クロダイ認識の混乱」で紹介した書物です。

こうした書物には動植物の色についての記述も多く、そこから当時の「青」の使われ方を窺うことができますので、今回は本草書の魚の記述に着目してみました。


◆江戸時代の青魚

まずは、「魚」に「青」で有名な「サバ」に注目です。
中国の文献ではサバの体色を「正青色」と分類しています。正青色とは中国における青の基準色のようなもので青緑系です。純粋なblueとは少し違います。「大和本草」も「和漢三才図会」も、この「正青色」をそのまま引用しています。

正青色
#6CA8AF


ところが、「和漢三才図会」の著者である寺島良安は自身の観察を記す際には「青」ではなく別の字を選んでいます。サバの背は「蒼」、ブリも「蒼」、イワシは「蒼黒」です。

サバ ブリ イワシ


「蒼」の字の構造は「くさかんむりに倉」ですので、「干してから貯蔵されている青草のような、くすんだ色」を指します。やや暗く濃い青~青緑ということになるのですが、中国文献を尊重して「正青色」としておきながら、自身の言葉としては「蒼」や「蒼黒」を使い分けています。このことから、当時「青」と「蒼」が明確に別物として扱われていた様子がわかりますし、日本語の「青」とはしづらかった状況も推しはかることができます。

また、「大和本草」の著者・貝原益軒は、サバを表す漢字が「鯖」であることや、「あをさば」という呼称を説明するにあたり、自身の観察や色彩認識を語ることなく、中国の記述に丸ごと委ねています。つまり、サバの色については自身の言葉で表現せず、中国の正青色を引用しただけなのです。

「あをさば」は平安時代の「倭名類聚抄」に登場しており、古くからある一般的な呼称のようです。それにも関わらず、あえて中国の表現を借りなければサバの色を語れなかったという事実は、益軒にとって「サバが青」ということが自明ではなかった、言い換えれば「サバを青とすることには抵抗があった」という可能性を残しています。

現在の日本では、サバ・ブリ・イワシなどの背が青緑色の海水魚を総称して「青魚(あおざかな)」と呼びます。しかし中国における「青魚(qīngyú)」は全く異なる魚を指します。日本語だと「あおうお」と読まれるこの魚は、ソウギョ・ハクレン・コクレンとともに「四大家魚」の一つに数えられる、鯉に近い大型の食用淡水魚です。つまり、日本語の「青魚(あおざかな)」は日本独自の表現です。また、ブリやヒラマサ、カンパチのようなアジ科の大型魚は釣り用語で「青物」と呼ばれます。

このように、これらの魚を「青」とする感覚は少なくとも平安時代から現在に至るまで続いています。「蒼」の読みは「アオ」ですし、「青」という色表現は悪くはなかったはずですが、学術的に色相を示す際には使いづらかったのでしょう。理由は「青の色相領域が広いから」としか考えられません。

そうなると、この頃もまだ「青」は③色グループ名としての性質が圧倒的に強かったということになります。濃くてくすんだ色に限定されるために「蒼」は使いやすかったのでしょう。


◆ニベ

学術的説明に「青」は使いづらいとしましたが、「青」の字が使われているケースはあります。「和漢三才図会」ではニベの色を「灰青色」としていました。

ニベ
(画像: WEB魚図鑑) (画像: 魚図鑑)


江戸時代後期には灰色系の色名が大きく発達しました。その背景にあるのは、幕府が発令した奢侈禁止令(しゃしきんしれい)です。贅沢を禁止したのです。庶民の衣服は素材から色まで細かく規制され、身につけてよい色は茶・鼠・藍くらいに限られていたのですが、「四十八茶百鼠」と呼ばれるほど茶色と鼠色にはたくさんのバリエーションが生まれました。

また、江戸は「火事と喧嘩は江戸の華」と言われるほど大火が頻発した都市です。火事や火葬を連想させる「灰」は縁起が悪いとして嫌われ、ネズミの体毛に見立てた「鼠色」が定着しました。百鼠は無理ですが、鼠が付く色を10種類紹介しておきます。

白鼠
#E6E6E6

小町鼠
#E5E2E4

銀鼠
#BBBCBF

素鼠
#737373
丼鼠
#595455
桜鼠
#D8C6BC

深川鼠
#85A1A0

梅鼠
#AD7984
藍鼠
#6B818E
桔梗鼠
#95949A


当然ながら、いずれも灰がかった感じの色になっています。灰色という言葉は平安時代に既に使われていましたが、「鼠」が付く色名の普及によって灰がかった様子を示すための「青」を使う機会は激減し、江戸時代の間に「青」から「灰がかった色調を表す機能」は概ね消えていたと推察します。

この「灰」の機能が「青」に残っていたとすれば、「灰青色」とはしないはずです。おそらく「灰蒼」のような言葉が一般的でないために「灰青」と記載して「灰がかった青系」という感じにするしかなかったのだと思います。灰がかっていれば、青でも蒼でも青緑でも誤差の範囲なのかもしれません。

②色調名のうち明度が極めて低い「ほぼ黒」の状態については江戸時代の実例を探すことができませんでしたが、江戸時代末期の時点で②色調名の機能は極めて薄くなっていたような気がします。


なお、日本ではこのニベの鰾(うきぶくろ)が膠(にかわ)の原料となっていました。膠は推古天皇の時代に大陸から伝わった天然接着剤で、通常は畜獣から得られるゼラチンを用いるのですが、日本では獣肉の食習慣が無かったためにニベが使われるようになったそうです。

その後、原材料に関係なく膠自体が「ニベ」とも呼ばれるようになったのですが、これによって「にべもない」という慣用句が生まれました。「愛想が無い」といった意味で使われますが、「全然くっつかない」ということですね。


◆アオギス

次は「和漢三才図会」に「川幾須」と表記されている青鱚(アオギス)を紹介します。アオギスは川にいる時期があるのでカワギスとも呼ばれます。名前に「青」が入っていますが、寺島良安はこの魚の色を「微碧」としています。

アオギス シロギス
(画像: WEB魚図鑑)


また碧が出てきました。「微かに碧」ということは「薄っすら青緑」という感じです。結構合っていると思います。とはいえ表現が難しい色をしています。アオギスはシロギスに似ているのですが、背ビレに黒い点列があるので簡単に判別できます。また、シロギスよりも大きくなります。

どちらの魚もある程度の乳白色ですが、シロギスは若干ピンクがかった感じがあります。日本人だけの感覚かもしれませんが、シロギスと比べるとアオギスは「青い」です。


(画像: 公益財団法人 海洋生物環境研究所)

「和漢三才図会」と同じ頃に書かれた「何羨録(かせんろく)」という日本最古の釣り専門書には、この魚が「蒼きす」と記されています。個人的にはこの表記が好きです。よく似合っていると思います。

いずれにしても庶民が「アオギス」と呼んでいたこの魚に、どちらの著者も「青」の字は使っていません。やはり「色の説明に青はダメ」というのが常識だったのでしょう。


アオギスはほぼ日本にしか生息していない絶滅危惧種です。かつては東京湾にもいて、脚立釣りは初夏の風物詩だったそうです。警戒心が強く音に敏感なために船釣りは不可能で、人が歩く音でも逃げてしまうということで脚立を水中に立てるようになったのだそうです。本当にそうだとすると、脚立を立ててもしばらくは釣れなかったはずですね。


脚立釣り(1950年)

(提供: 深川 吉野屋)

ただ、高度経済成長期に多くの干潟が埋め立てられたことでアオギスは数を減らし、東京湾においては1976年の捕獲例を最後に姿を消したとされています。伊勢湾のアオギスも絶滅したようです。現在の生息域は大分県、山口県、鹿児島県の沿岸の一部だけとされています。

アオギスは春の終わりから夏の初めにかけて、沿岸や内湾の奥に入ってきます。そして、梅雨の頃に干潟などで産卵し、秋になって水温が下がるとともに沖の深みに移動するのです。


(画像: 公益財団法人 海洋生物環境研究所)


東京湾に豊前海(大分県)のアオギスを放流して復活させるという計画もあったそうです。ただ、上の図によると全長1cmの時期に河口域に移動し、8cmまではずっと川にいることがわかります。産卵場所は干潟なのでしょうが、川も含めて全てを昭和初期のような状態に戻す必要があるので、繁殖可能な環境にするのは大変です。

色々な方面からの意見・検証報告を収集した結果、この計画は中止になりました。最大の理由は「東京湾で絶滅したという確証が無い上に、豊前海アオギスと東京湾アオギスとの遺伝的同一性が確認できないから」だそうです。

ひょっとすると、集団でどこかに移動したかもしれません。ひっそりと命を繋げていたら嬉しいのですが、今の東京湾の状況では非現実的なのでしょう。

(提供: 大分県 / 撮影: 松尾 敏生)


こちらの画像を見る限り、アオギスの「青」は②色調名③色グループ名の複合といった感じがします。青紫と緑と黄が入っていますが、彩度と明度は低めで渋いです。非常に複雑な色ですが、古い日本の青の典型だとも感じます。「青い鱚」を直訳しない限り、この魚を海外の方々がblue系の単語を使って表現するとは思えません。

この魚の色を「蒼」とするのが最善だとすると、青グループの中でも「青色の袍」の青のような、古来のアヲ要素が強めの「青い青」が「蒼」になったと考えることもできそうです。「蒼」を使って曇り空も表せるため、その原型を「漠」だとする考え方は自然に思えます。


◆まとめ

この回では、江戸時代の本草書の魚の記述によって青認識を探ってみましたが、③色グループの性質は相変わらず強く、「灰がかった色」に代表される②色調名の機能については薄れていることが示唆されました。

今回、この2種類の魚を見て改めて思い出したのは「最初のアヲ」の感覚です。

(画像: WEB魚図鑑)


日本人の青と緑①の結論として、最初のアヲは「全寒色系+灰がかった色」でしたと書きましたが、寒色ではなく非暖色とした方が良かったかもしれません。色相としては「アカでなければアヲ」なのです。そもそも、「漠」以来のこの感覚が青の②色調名③色グループの性質の始まりであったはずです。いつ頃までなのかはわかりませんが、紫も青も緑も「アヲ」だった時代が長く続いていたのです。

そう考えると、アオギスという命名は必然です。シロギスのような赤みはないから相対的にアオギスなのです。日本にシロギスがいなければ別の名前になったかもしれません。

シロギスがアカギスとならなかったのは他に真っ赤な魚が多いからでしょう。アカカマスのような例外もありますが、アカの付く魚は普通は真っ赤です。アカカマスは全然赤くないのですが、ヤマトカマスという近い種と比較すると相対的に赤いです。アオギスと同じような命名方法です。

ヤマトカマス
アカカマス
(画像: WEB魚図鑑)


日本語では「顔が青白い」のような表現が平安時代から見られますが(青常の君参照)、こうした顔色の「青」はアオギスの「青」と同じ理屈なのかもしれません。現代においても、「赤くなければ青」ということがあるような気がします。血色が悪くなると灰青や青紫に見えることがありますが、血流が低下し、毛細血管から血液の赤みが消えることで青っぽく見えています。そこに青系の物質がある訳ではないようですので、錯視のような現象なのでしょうか。普段でも静脈は青く見えていますが、これについては灰色のものが錯視によって青く見えているだけなのだそうです。

「青い顔」は英語だと'pale face'です。'pale'は本来「薄い、淡い」という意味になります。例えば色の薄いウィスキーは'pale whiskey'と呼ばれますので、'pale'と青は無関係だとわかります。英語で「顔が青い」とは言わないのです。

日本人の「顔が青い」は、アジア人の肌特有の錯視によるものなのかもしれませんが、錯視であろうがそう見えているのであれば問題ないですよね。ただ、海外の方が顔色の悪い日本人を見て「青い」と感じるでしょうか?

私は古来のアヲの感覚によって「青」とした可能性が高いと思います。「血色が良いと暖色、悪ければ寒色」なので「青」なのです。つまり「赤くはないから青」ということです。日本人特有のものですから、海外の方に「顔が青い」が伝わらないのも当然です。


さらに、日本語の「顔が青い」は色認識とは無関係になっていることが多いかもしれません。何か大きなミスをしたときには
大失敗して焦る=血の気が引く=血色が悪い
という因果関係で「焦って顔が青ざめた」のような言い方をします。

実際に青く見えることもあるでしょうが、顔が紅潮していても「顔面蒼白」とすることがありそうです。焦った本人が鏡を見た訳でもなく「あの時は青ざめたよ」と語ることも許容されます。つまり「青い顔」は比喩であり、本当に青い必要はありません。


他には「青白い」で病弱な様子や運動嫌いな子供を表したりもします。ショックを受けて「ガーン」となっている姿も「青ざめる」で伝わるため、逆にその言葉があることによって顔を青く塗ったイラストが生まれます。海外の方々は「青い顔」のイラストを不思議に思うかもしれませんね。「青」に依存し過ぎな気もしますが、日本人と「青」の繋がりの深さが現れていると思います。


次回は江戸時代の青の色相域についても考えます。
お楽しみに。


                                                               ㉒   

歌は見た目よりも音   

神武東征その後   
クロダイ認識の混乱   
日本書紀の海鯽魚(神功皇后)   
賀茂伝説   
古墳築造の時代背景   
平安時代の緑   
SN 1181   
茶の湯の継承   


当記事には筆者の推察が数多く含まれています。また、あくまでもInfigo onlineに興味を持っていただくことを目的としておりますので、参考文献についての記載はいたしません。ご了承ください。
一覧に戻る