日本人の青と緑㉑
前回は桃山文化の2種類の美意識を紹介しましたが、今回は青織部の「青」を考えます。
◆織部
古田織部/古田重然(しげなり)は織田信長、豊臣秀吉に仕え、その後は徳川家康から秀忠へと、各時代の権力者に仕えた武将ですが、千利休の高弟として侘び茶を継承します。利休の死後は天下一の茶人とも称されました。武と茶の二刀流ということでは歴史上最も有名な人物です。「織部」は従五位下・織部助(おりべのすけ)という官職名から来ていて、古田重然はこの官職に任じられたことから古田織部と呼ばれるようになりました。
慶長年間(1596-1615)に織部の指導のもと美濃で生まれた織部焼は、現在でも日本を代表する焼き物として知られています。織部は利休の「侘び」を基調としながらも、その枠を超えて奇抜で斬新な美を追求しました。利休が好んだ「控えめ」な感じとはかなり違います。
黒織部、志野織部など様々な種類がありますが、「青織部」と呼ばれているものは、銅緑釉を用いた鮮やかな発色が特徴的です。現代の私たちが見れば、それは明らかに緑色です。青磁なら今でも「青」で通せますが、青織部はやはり「緑」と感じる人が多いのではないでしょうか。
| 緑釉銹絵桃文平鉢 17世紀/桃山時代 |
織部輪花形火入 17世紀/江戸時代 |
織部扇形蓋物 17世紀/江戸時代 |
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| (画像: ColBase) | ||
「織部焼」という名称は、織部が活躍していた時代の文献には出てきません。つまり後世になって作られた呼称なのですが、慶長13年(1608年)の古田織部の茶会記に「せとのあふき皿」と「せとのへき皿」という記述が見られます。どちらも青織部を指しているそうですが、そうなると「あふき(青)」と「へき(碧)」の使い分けが気になります。
「碧」の誤解の経緯について以前の記事で紹介しましたが、色相としてはblue~blue greenくらいがメインだったと考えられます。ただ、blueやblue greenという感じの織部はこの時代のものには見当たりません。そうなると、色調の違いで使い分けていたということが考えられます。「碧」の流行の起点が「碧空」であり、「みどり」を空の表現に使っていたことなどを考えると、薄めの緑のものが「へき」で、濃く沈んだ色のものを「あふき」としていた可能性があります。
現代人にはどれも緑でしょうが、当時の日本人にとって濃い青織部が最も典型的な「青」だったのかもしれません。下の画像で言えば、一番左だけは碧で、他の2種類が青という感じでしょうか。一番右の織部扇形蓋物は「より青い」と感じていたことになると思います。
| 織部開扇向付 17世紀/江戸時代 |
織部向付 17世紀/江戸時代 |
織部扇形蓋物 17世紀/桃山時代 |
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| (画像: ColBase) | ||
「緑釉」という用語はすでに存在していたかもしれません。ただ、それは材料や技法を指す言葉で、結局のところ完成した器の色彩を表現する際には「青」が選ばれたのです。おそらく「緑」とするには単純に濃すぎるのだと思います。もう少し明るい色調である必要があるのでしょう。この結果は「緑」と「青」が、現代のような隣接する色相ではなく、異なる次元の概念として機能していたことを示唆していると思います。
「青」の要素はたくさんありますが、どの角度から考えても「緑」と対比して考えるような言葉ではないと思うのです。私はこの連載を手掛けたことで、青織部を「青い」と感じるようになりましたが、当然ながら「緑」だという感覚も持っています。緑ではあるけれども、青いのです。
なお、別ページ茶の湯の継承に千利休以降の侘び茶の推移についてまとめてありますので、是非ご覧ください。
◆藍染の発展
ここで、藍染の広がりについて触れておきます。
室町時代後期、阿波国(現在の徳島県)で青屋四郎兵衛が蒅(すくも)製法を確立し、藍染めが飛躍的に発展しました。「青屋」という名が示す通り、藍染めは青系に染める行為だったのでしょう。ただしこの「青」は、色グループ名としての「青」です。魚屋が鯛や鯖を売っても「魚屋」であるように、青屋は藍を使って浅葱、縹、紺など様々な色に染める「青を扱う店」だったのです。
それまでの生葉を使う方法から、蒅にすることで保存・運搬が可能になり、年間を通じて藍染めができるようになりました。戦国時代から安土桃山時代にかけて、各地の大名たちは競って藍作を保護・奨励しました。その後、紺屋(こうや/こんや)という言葉が生まれましたが、江戸時代になると染め物屋さん全般が紺屋と呼ばれるようになりました。
また、蜂須賀氏の阿波藩では、藍が主要な産業となり「阿波藍」として全国に知られるようになります。品質にも違いがあり、阿波藍は「正藍」、それ以外の土地の藍は「地藍」と呼んで区別されていたそうです。
| 阿波藍 | 蒅(すくも) |
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| (画像: EXSENSES) | (画像: 岡本織布工場) |
日本人の青と緑⑲でも紹介しましたが、褐色(かちいろ)と呼ばれる濃紺は、武士たちに縁起の良い色として好まれました。この時代、藍染めは特別な色から日常の色へと変化していきます。庶民も藍染めの着物を着ていたようで、薄い藍から濃い藍まで、色々な雰囲気の「青」が生まれました。
日本の「青」は本当に不思議ですね。green系が中心にあるのに、藍のようなblue系も当然のように「青」でした。織部の緑釉も藍染めも、色相という観点では全てが「青グループ」の傘下なのです。
◆まとめ
結局、桃山時代でも日本の「青」は複雑かつ豊かに機能していて、そのまま江戸時代に突入したようです。
織部焼の緑釉を「青」と呼び、藍染めも「青」と呼ぶ。現代人にはgreen系に見える山鳩色や麴塵のような色を「青」とし、blue系の藍も当然「青」である。この一見矛盾した状況こそが、日本の伝統的な青認識の本質を示しています。
「青色といえば浅い灰色がかった黄緑色になり、青は濃い緑色のことだった」のような意見も見られますが、私は「青」という色名(名詞)と「青い」という形容(形容詞)は異なる機能を持つ傾向があったと考えています。
①色名:渋いgreen系
②色調名:灰がかった色などの曖昧な状態、あるいは明度が極めて低い「ほぼ黒」の状態
③色グループ名:blue系~green系を完全に網羅
④植物全般、葉緑素の色味
⑤若く未熟な状態
色名としての「青」は①の渋いgreen系を指すことが多いですが、「青い」と形容する時はほとんど②の「灰がかった曖昧な色調」を表現していたはずです。「青い空」が出てこないのもそのせいだと思います。灰がかった空なので曇りになってしまうのです。
そして「青色=青い色=灰がかった色」ということで、元来「青色」は特定の色を指す言葉ではなかったのではないかと思うのです。そうであれば、麴塵、山鳩色、青白橡など「青色の袍」に使われた色にバラツキがあるのも納得できます。
個人的には、「青色」というのは言わば「青い青」であって、灰がかった青系という意味合いなのではないかと考えています。そして、濃い織部焼を見て「青い器」としたのは、色相もさることながら、その沈んだ色調を「青い」と表現したかったのではないでしょうか。本文で「最も典型的な青」と表現しましたが、「せとのあふき皿」であろう暗めの青織部は灰がかっていて非常に暗い青系(②×③)という「青い青」なのだと思います。
| 織部角鉢 17世紀/江戸時代 |
織部洲浜形手鉢 17世紀/江戸時代 |
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| (画像: ColBase) | |
前述の①~⑤の要素は、戦国の世でも全て生きていたと思います。色彩認識が未熟だったのではなく、色相と色調を区別する豊かな感性を持っていたと考えるべきでしょう。
いよいよ現代に近づいてきました。この豊かな「青」はどのように変化していくのでしょうか。
| 当記事には筆者の推察が数多く含まれています。また、あくまでもInfigo onlineに興味を持っていただくことを目的としておりますので、参考文献についての記載はいたしません。ご了承ください。 |










