歌は見た目よりも音

古事記の編者である太安万侶(おおのやすまろ)は、表記上の工夫について
「訓で述べたものは言葉の意味と合わない。一方、全て音で書き連ねたものは見た目に長すぎる。」
「ある場合は一句の中に音訓を交えて用い、またある場合は全て訓をもって記録した。」
と序文で説明しています。

当時はひらがなが無いため、漢字だけで表現するしかなかったのですが、場合によって音読みと訓読みを混ぜたり、訓読みだけにしたりと、読者のために様々な工夫をしたのです。

「全て訓」というのは、簡単に言えば漢文表記です。
漢字が本来持っている意味で、漢語の使用方法そのままで書くことです。
レ点や一二点を加えることで、日本語読みができるような形式です。
読者は漢字が読めても漢語を話せる訳ではないですから、発音は変わってしまいます。

ただ、この方法だけだと内容が伝わらない可能性があります。
漢語とやまとことばで全く異なる言葉を使っているケースでは、意味が通じないのです。

例を挙げますと、こんなフレーズがあります。
次國稚如浮脂而 久羅下那州多陀用幣流之時

先に意味を記しますと、「その次に、まだ大地はできたばかりで浮くあぶらのように、またくらげのように漂っていたとき」となります。

このフレーズは大地の様子を2つのブロックで比喩していますが、最初の「次國稚如浮脂而」は漢文スタイルで、
「次に国稚(わか)く浮く脂(あぶら)の如くして」
とすれば意味も把握しながら読めます。

後半の「久羅下那州多陀用幣流之時」は途中まで音を連ねただけで、
「くらげなすただよえる(の時)」
となっています。

これはおそらく「くらげ」の表記方法がなかったからです。
漢語だとくらげは「海月」だったのでしょうか。
そのままだと「うみのつき」と読まれるでしょうから意味がわかりませんよね。

その辺は定かではありませんが、兎にも角にも「久羅下」でしか伝わらないので長くなったとしてもこれで良い、という判断がなされたのです。

さらにご丁寧に、こうした箇所には注釈が付きます。
このフレーズの直後に【流字以上十字以音】と表記されているのです。

この注釈の意味は
「流」から上の「久」までの十文字は、音で読め
ということです。
とても親切ですよね。

このように漢文と日本語の音を連ねた文をごちゃ混ぜにしているのが古事記の特徴です。


ただし、歌に限っては聞こえ方を重視すべきです。
そのため、見た目に長すぎたとしても「最初から最後まで音を書き連ねる形」にしたのです。

例えば「阿遠夜麻」を「青山」とすると「あをきやま」などと読まれる可能性があり、そうすると発音もリズムも変わってきます。
こうしたことを避けるため、全部音読みにするという判断に至ったと考えられます。


「歌は見た目よりも音」ということですね。



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