色のアラカルト:日本人の青と緑㉔ 江戸時代(下) 前編

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日本人の青と緑㉔


前回までに江戸時代中期までの青認識を考察しました。
「青」の使い方は相変わらずで、主軸はgreen系のままblueに寄っていきそうな気配はありませんでした。

今回は江戸時代終盤の「青」になります。
当初は「江戸時代(下)」としてまとめる予定でしたが、分量が大きく膨らんでしまいました。江戸後期、同じオランダ語が二つのまったく異なる領域に同時に現れ、これがその後の青認識に大きく影響するのですが、丁寧に考察する必要があるため前編・後編の二回に分けてお届けします。


◆「緑」の動向

green系の色はたくさん登場していましたが、平安時代の記事で触れて以来「緑」の使い方について触れていませんでした。今回はまず江戸時代の「緑」が意味するものについて考えてみたいと思います。

「緑」の出現で多いのは色としてではなく「草木」としての用例で、江戸時代にはその傾向が顕著になっています。現代の「この辺りは緑が多い」のような「緑」の用法と同じです。

その一方で、緑系の色名は発達しています。萌黄・草色・柳色・若草・苗色・鶯色・木賊色・山葵色……とかなり増えましたが、「緑」の字がつくものは、平安時代に生まれた「若緑」や江戸時代に生まれた「千歳緑(せんざいみどり)」など少ししかありません。

若緑 老緑 千歳緑
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これらの色は「緑」が修飾されている形になっていて、greenというより「葉っぱ」という意味が強いです。千歳緑は「常盤の松の緑」という色で、「長い期間に亘って葉が付いている」と「長い期間に亘って緑色である」という両方の意味合いだと思います。松だけは決まって緑で形容され、「松が青い」という表現はあまり使われません。濃い緑だからでしょうか。「青松」という言葉もあるのですが、古くから中国で使われていたものです。

和泉式部のみどりでも紹介しましたが、すでに「緑」が色彩語でもあったことは間違いありません。しかしながら、少しだけ現在とは扱いが違うように感じます。

江戸時代の緑系色名の多くは陶芸、着物、絵画といった、色を扱う職業人のための記述に出現します。しかも、ほとんどが「若緑」のような複合語での登場になります。単独の「緑」で確実に色を示している用例は本草書以外には見つからないのです。「green系」という意味合いでそれぞれの色をまとめるような、色グループ機能としての用例も見当たりません。

江戸時代の染色技法書は20点以上あるのですが、緑系色名は鶸色(ひわいろ)、鶸萌黄(ひわもえぎ)、花萌葱(はなもえぎ)、萌黄(もえぎ)、木賊(とくさ)、草柳(くさやなぎ)、浦和柳(うらわやなぎ)、鶯色(うぐいすいろ)の8種類しか登場しないです。「緑の仲間」という意識はあったかもしれませんが、「緑」の字は出てきません。色名としての認識が薄く、説明には使いづらかったのでしょうか。

『大和本草』や『本草綱目啓蒙』のような本草学の書物においては、植物や動物を「緑色」とする例があるのですが、これらは中国の文献を参照した表記です。基本的に自身の認識ではないのだと思います。

例えば『大和本草』の酢漿草(カタバミ)の項には「葉ノ色青ト紫ト二種アリ」と書かれています。

カタバミ

確かにこうした2種類が見られます。「緑」を使ってほしいところですが、著者自身の表現では「青」を使っているのです。

一方、江戸時代の辞書『倭訓栞』(谷川士清)の「ゐんけんまめ」の項に、「あをみどり大きし」という記述がありました。インゲン豆の色を示すのに単独の緑ではなく「あをみどり」という複合語の形をとっているのです。これは現在の青緑のような「青と緑の中間」といった意味合いとは違うと思います。

インゲン

どう見ても「みどり」で問題ないはずですが、「みどり」だけだと色相を指定しきれないと考えているか、あるいは色の説明だということすら伝わらないと考えたのでしょう。この辞書に「あをみどり」の項はありませんので、おそらく「同格・限定」の構造でしょう。本草書においては、色を説明する際に「青くして碧なり」や「青にしてやや蒼し」のように、上位の色域「青」を示したうえで種類を限定する様式が多く見られるのです。

この辞書で「みどり」を引くと「緑翠をよめり」とあります。こちらは「同格・限定」ではなく、「緑」と「翠」という両方の漢字の読み方が「みどり」である、という意味であることは明らかです。さらに「緑色の紅毛語ぐろうんといふ」と続きます。紅毛語というのはオランダ語のことでしょう。groenは、英語でいうgreenに当たりますので、色の説明としては合っています。

また、「緑の色はオランダ語でgroenという」という説明からは、「緑」と「翠」との違いを認識できていたことが伺えます。「みどり」の説明の中で「みどりの色はgreen」とせず、敢えて「緑色=green」とした訳ですから、「翠」がgreenではないと知っていたはずなのです。「翠」は翡翠(ひすい)の色ですから、色相としてはblue green~greenです。「翡翠の色をみどりとする習慣はあるものの、どうやらgreenではない」という知識があったことになります。つまり、一応は「緑」の定義が完成していたのです。

まだまだみどりが一般的に完全なる色名として浸透している状態だとは思えませんが、中国語以外の色認識が入ってきたことによって、色相範囲がある程度定まったと言えます。


◆ベロ藍

18世紀、ヨーロッパから鮮烈な青色顔料が日本に輸入されてきます。プルシアンブルー、いわゆるベロ藍です。それまでにはない、鮮やかで透明感のあるblueを日本人が初めて目にしたのです。

葛飾北斎(1760-1849)の冨嶽三十六景や歌川広重(1797-1858)の東海道五十三次にベロ藍が大量に使われたことで、この鮮やかなblueは庶民の目に直接届き、ベロ藍の単色刷りが大流行します。奢侈禁止令によって錦絵の色が制限されていたという状況も後押ししたようです。

歌川広重《東海道五拾三次之内 京師 三条大橋》

(画像: 東京富士美術館収蔵品データベース)

この合成青色顔料は1704年にドイツの錬金術師が偶然発見し、日本には平賀源内によって伝えられました。平賀源内は『物類品隲(ぶつるいひんしつ)』(1763年)の中で、オランダ語の "Berlijns blaauw" (ベルリンの青)に由来する「ベイレンブラーウ」と呼んでこの顔料を紹介しています。これが転じて「ベロリン」「ベル」「ベロ」といった呼び名が版元や摺師の間で定着しました。日本でもっとも早い使用例は1763年で、伊藤若冲のルリハタの絵です。浮世絵に使われ始めたのは1830年頃だとされています。

この青はオランダと中国から輸入されていましたが、中国で国内生産が始まると輸入ベロ藍の大半が中国産になりました。中国からの商品には「唐口紺青」のような表示がありました。その後、日本では「紺青=プルシアンブルー」という認識が一般的になり、今でも「紺青」がベロ藍の顔料名です。


葛飾北斎は『絵本彩色通(えほんさいしきつう)』(1848年)の中で「べろにいろいろあり、こいべろ・そらいろべろ・あさぎべろ也」と記しています。ベロ藍の濃淡を「空色」「浅葱」という既存の色名を使って表現しているのは不思議です。

この書物では絵画の技法を紹介しているのですが、赤、紅、藍、緑、そらいろ、紺という色名が目につきます。「青」の字はあまり出てきません。確認できた「青」は4種で、岩紺青、石青ベロ、緑青、青毛です。

岩紺青は従来の金青(こんじょう/ 藍銅鉱: アズライト)のことです。プルシアンブルーの伝来により、ベロ藍を紺青あるいは花紺青、天然顔料のアズライトを岩紺青と呼んで区別していたようです。石青ベロというのは浅葱色をしたやや薄めのベロ藍だそうです。緑青も色材そのものなので、どれも参考になりません。

また、「青毛」というのは唐獅子の毛のことでした。

葛飾北斎『絵本彩色通』 

(画像: 国立国会図書館デジタルコレクション)


下図のような絵の描き方を説明しています。右の獅子は北斎のものです。

狩野永徳 唐獅子図(部分) 葛飾北斎 唐獅子図

狩野永徳の唐獅子図の左の獅子のような青っぽい毛並みを青毛と呼んでいたようです。この感じは青馬・青駒のところで紹介したオグリキャップを思い出します。

解説には白と緑を塗ることや、ベロを使うことなどが書かれていますが、ここにも「青」の字はありません。



冨嶽三十六景の版元である西村永寿堂の大衆向け広告でも「藍摺一枚」という表現を用いていて「青」と語られてはいません。そうなると、最終的には庶民にも「ベロ藍」が伝わりそうですね。

葛飾北斎《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》
(メトロポリタン美術館蔵)

「これぞ青」のように思う人はいなかったのでしょうか。

平賀源内が「ベルリンのブルー」と伝え、漢字で「紺青」と書かれた商品が「ベロ藍」として広まった訳ですから、やはり多くの人が「青」ではなく「藍」だと認識したことになります。

1830年版の『倭訓栞』の「あを」の説明文には

桃花襲 — 襲の色目(植物由来の色調)
青梅 — 熟す前の緑の梅
松葉紙 — 松葉色、すなわち緑
青草 — 文字通り緑の草
青草束(神代紀)— 同上

このように植物の色しか出てきません。ちょうど浮世絵の頃の認識ということになるのですが、全くもってblue系は無視されていました。

顔料名の「紺青」も、まだまだ青の主軸がgreen系にあるので紺の側に寄せないとblueを示せないということだと思います。やはり「青」は「緑」のようにいくはずがないでのす。

このblueが藍でgreenが青なのですから、この状態は今の中国人の色認識に似ていると思います。(日本人の青と緑⑪参照)
中国語以外の外国語が入ってきている時期に中国の認識に近づくのですから、言葉の変遷は本当に複雑だと思います。

 

◆まとめ

当時の辞書で「緑色=groen」という認識が存在していたことを確認できました。いつから存在していたのかは不明ですが、おそらく長崎のオランダ人に実物の草木を指して確認した、自然なリサーチの結果でしょう。ただし一般的には「緑」はまだ「葉っぱ」の意味が中心で、色相語として定着するには至っていません。

庶民の色彩体験を大きく変えたのがベロ藍です。鮮やかな blaauw顔料がやってきて一世を風靡しましたが、それが単独で「青」と呼ばれることはなかったようです。『倭訓栞』の「あを」の項からもわかるように、人々の「青」はまだまだgreen系を主軸としていたのです。

ところがこの同じ時期、まったく別の領域でも blaauw が姿を現していました。
後編では、その出来事を追います。お楽しみに。


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