色のアラカルト:日本人の青と緑③ 古事記のアヲ(中)

日本人の青と緑③


前回は神話に出てくる2種類のアヲを紹介しました。
まずは今回も神話のアヲに迫ります。


◆青山・青垣・青柴垣


青山


前回記事で大国主命(オオクニヌシ)と須勢理毘売(スセリビメ)の歌のやりとりについて紹介しましたが、事の発端となった沼河比売(ヌナカワヒメ)への求婚の際に「青山」という言葉が2回登場します。

青山にぬえは鳴きぬ/青山に日が隱らば

(これらの原文は「阿遠夜麻邇 奴延波那伎奴/阿遠夜麻邇 比賀迦久良婆」で、実は前回記事の「あをきみけし」も「阿遠岐美祁斯」となっています。このように歌は「当て字」になっているのですが、古事記の表記方法について別ページ「歌は見た目よりも音」で詳しく紹介しています。そちらも是非ご覧ください。)

さらに、「青山が枯れるほど泣く」という表現で、若い頃の須佐之男命(スサノヲ)が髭の生える年齢になってもずっと泣いているという様子が描かれています。

どれも「アヲ=緑」としたくなるところですが、どうも色のことではない気がします。
このアヲは「このあたりは緑が多い」の「緑」と同じように、緑色というよりも、植物の総称だと思うのです。

「青山」は上の画像のような「緑多き山」ということでしょうから、こうした光景を前に、漠然と木々を指していたのではないでしょうか。

私の中学の母校の校歌は「緑は木々に照りはえて」と始まりますが、校内にある小さな森の木々の描写だったそうです。
この「緑」は「たくさんの葉っぱ」で、全く無いとは言い切れませんが色の要素は少ないですよね。

さらに、スサノヲのお話の「青山」は「山は若い様子(未熟)なのに、それが枯れてしまうほど」という比喩の可能性もあります。「青二才」や「青臭い」の「青」のような使い方です。
スサノオの未熟さをこうした形で暗示したということは十分にあり得ると思います。

もし、こういう「青」が神話の時点で登場しているとなると、非常に厄介ですね。



青垣(あをかき)

オオクニヌシが国造りで悩んでいると、美和之大物主神(=大物主大神:オオモノヌシノオオカミ)が現れます。
そして、「吾をば倭(やまと)の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と言って三輪山に祀られることを望み、やがて無事に国造りが完了します。手伝ったということでしょうか・・・

大和は青い垣根のように山々に囲まれていたため、今でもこれを青垣と呼ぶそうです。こういう地形なので夏の奈良は暑いんですよね。



上の地形図から「大和の青垣の中でも東側のエリアの山」ということになると想像できます。
あるいは「大和の青垣から東の方に行った山」という意味かもしれません。
そうすると標高が高そうな西側の山々のことになりますが、いずれにしても「青垣」と呼んで場所を指定できているのですから、これはもう固有名詞です。

三輪山

(写真提供:一般財団法人奈良県ビジターズビューロー)

なお、三輪山の麓にある大神(おおみわ)神社のご祭神はもちろん大物主大神です。
ご神体は三輪山自体で、本殿を設けず拝殿の奥から直接三輪山を拝するという原初の神祀りの様式を伝えています。



青柴垣(あをふしがき)

国譲りのお話で、オオクニヌシは建御雷神(タケミカヅチ)から国を譲るよう迫られますが、自らの子である事代主神(コトシロヌシ)に判断を委ねます。
すると、コトシロヌシはすぐに「譲りましょう」と告げ、船を「青柴垣」というものに変えて隠れてしまいます。恥辱に堪えられなかったのでしょうか。

「青柴垣」は直訳すると「青々とした柴垣」ですが、現在でも神事で登場します。

下の画像は美保関で毎年4/7に行われる美保神社の青柴垣神事(あおふしがきしんじ)の様子です。
詳しくはhttp://mihojinja.or.jp/


(提供:松江観光協会)

この船上にある四角い囲い全体を「青柴垣」と呼んでいて、四隅の柱に榊を立ています。元々は囲い自体が榊であったそうです。

そうすると、このアヲは「榊の葉の色」となりますが、こうなるともう色名というより「葉っぱの付いた」という意味合いが強いと思います。




◆蒲黄(ほおう)

実は古事記の上巻には「黄」も出てきます。
厳密には「黄という字が使われた物」と言った方が良いのかもしれません。

オオクニヌシは「因幡の白兎」を助けますが、治療のためにウサギが皮膚に蒲黄を付けます。これは「ガマの花粉」のことで、実物は完全に黄色いです。

 

「古事記にはアカ・クロ・シロ・アヲしか出てこない」が定説なのですが、蒲黄の黄はどうしてダメなのでしょう?
実物を見ても「蒲から出る黄色い物」というのは自然に思えます。

●漢字の意味を教わっていないから?
この花粉は「かまのはな」と呼ばれていた可能性があるようです。
後から「蒲黄」という書き方と「ほおう」という読みだけを渡来人に教えられたとすると、確かに色の意識は無いはずです。

●修飾語になっていないから?
もし「黄粉」などと書かれていれば、色名として認定されていた可能性があったかもしれません。
そうであれば訓読みがあるはずなのですが、「アカし」や「アカき」のような「キし」「キき」は、おそらくずっと存在していません。
そうすると「キ」という物がないといけないのですが、「木」以外にはなく、その後「黄」となった物はありません。

つまり、「黄」は元からあった色概念に漢字を当てがったのではなく、真の外来語なのでしょう。
なるほど「蒲黄」の「黄」は色名ではないですね。


古事記が編纂されたのは712年です。
書いてある時代の色認識がそのまま反映されている訳ではなく、712年までのどこかの時代の「色認識の伝承」ということになります。

古事記は稗田阿礼(ひえだのあれ)が語った言葉を太 安万侶(おおのやすまろ)が記録したものですから、稗田阿礼自身の色認識の影響があることは間違いありません。

ただし、この頃すでに「黄色」が一般的であったにも関わらず、古事記には「黄泉の国」と「蒲黄」の2例しか出てきません。
純粋な黄色は出現していないのです。

このように「その時点では一般的であるが、無かったはずの言葉」については、リアリティを失わないよう意識的に使わなかったのかもしれません。

そうなると「黄」という字を使うことは絶対にしたくなかったはずですが、奈良時代には「蒲黄」がそう書かなければ通じないほどに知れ渡った、メジャーな物だったのかもしれませんね。




◆まとめ

今回のアヲ・黄は全て色名とは呼べなさそうでした。

「青山」のアヲは漠然と植物を、「青垣」は特定の山々を、「青柴垣」のアヲは葉っぱのことを指しているので、どれもこれもすでに色の意識が無くなっているように思いました。

さらに、最初のアヲは空の色・状態の形容でしたが、
「青~緑色」→「植物の緑色」→「植物の総称」
→「植物が瑞々しい様」→「若く未熟である」
→「半人前」~「青二才」「青臭い」
のように、色認識とは関係のない進化が大昔から起こっているという可能性も感じました。

ただ、神話のアヲに「漠」の影響が見られないのは少し寂しいです。
灰がかった色の登場は無かったですね。
これが入るともっと複雑なはずです。


次回も古事記に登場する色名を見ていきます。
古事記の記述も西暦で考えることができる時代になると俄然リアリティが出てきます。
お楽しみに。



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当記事には筆者の推察が数多く含まれています。また、あくまでもInfigo onlineに興味を持っていただくことを目的としておりますので、参考文献についての記載はいたしません。ご了承ください。
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