クロダイ認識の混乱

クロダイが登場する文献をまとめました。
著者の活動エリアがかなり影響していると感じたので出身も記載しました。

和名類聚抄(930年代) 著者:源 順  出身:畿内
「クロダイ」という呼称ですが、930年代に作られた辞書「和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」に「久呂太比(くろたひ)」と出てくるのが文献初登場です。
中国名で「尨魚(ボウギョ)」という魚の説明を引用し、これは「久呂太比(くろだひ)」であり、鯛に似ていて灰色だと書かれています。
「尨魚(くろたひ)」ということになります。

ただし、別種として「海鯽(ちぬ)」がすぐ後に登場します。
後に本居宣長は古事記伝で「知沼(チヌ)と久呂多比(クロダヒ)とは別なれど、遠からぬ物なり」と解説しています。
はっきり言って間違っているのですから、何か決定的な情報があった訳ではないことがわかります。すぐ後に書かれていることから「遠からぬ物」と判断したのでしょう。

ただ、チヌでないとすれば、この久呂太比(くろだひ)は何なのでしょう?
もちろん現代中国語にクロダイを指す「尨魚」という言葉はありません。
中国の「尨魚」がクロダイを指していたのかはわかりませんが、この記述はずっと後まで影響することになってしまいます。


類聚名義抄(11世紀末から12世紀頃) 編者:不明
これは漢字を引くための辞書です。
クロダヒ(尨魚)と出てきます。


本朝食鑑(1690年) 著者:人見必大 出身:おそらく江戸
これは食物全般の解説書といった感じでした。
「黒鯛」という項目に「尨魚(ボウギョ)」と書かれていて、これの小さいものを「ちぬ」と呼ぶ説があるとしています。
また、ここでは日本書紀の「海鯽魚」が紹介されています。
こちらで簡単に説明していますが、この魚は間違いなくクロダイのことです。

実はクロダイは出世魚です。
現在の状況はこうなっています。
 (関東)チン→チンチン→カイズ→クロダイ
 (関西)チン→ババタレ→チヌ→オオスケ

本朝食鑑の著者は江戸出身のようですので、江戸では最初に小さい黒鯛を「チヌ」と呼び、それがやがて「チン」になったという仮説が成り立つと思います。




大和本草(1709年)  編纂:貝原益軒 出身:九州
本来は薬の図鑑のようなものですが、生物についても色々と載っています。
どの項目についてもかなり詳しく書いてありますが、海鯽(ちぬ)については
・鯛に似て青黒色である
・黒鯛、ヘダイも形は似ているが別の魚、この類の魚はいずれも鯛より味が劣る
と書かれています。

ヘダイ



「青黒色」というのはわかります。

クロダイ(銀) クロダイ(黒)


画像のように顔やヒレなどは青みがかっていることがあるのです。

また、「海鯽(ちぬ)」が銀色系のクロダイで、「黒鯛」が黒っぽいクロダイというようなこともあり得ます。クロダイは生息場所によって色味がかなり異なります。


この書に「黒鯛」の説明はないのですが、代えて「烏頰魚(すみやき/くろだひ)」という項目があります。
その説明は「大毒有り」となっていたりして、クロダイとは思えません。

たくさんの方々がオオクチイシナギのことだとしています。
今でも「スミヤキダイ」と呼べれることもがあるようです。
肝臓を食べると食中毒になるそうです。

オオクチイシナギ

(出展元:としとしWeb水族館・魚図鑑)

オオクチイシナギの大きいものは100kgを超えます。
写真を使う今ではあり得ない間違いです。


和漢三才図会(1712年)  編纂:寺島良安 出身:東北,活動:大坂
これは百科事典です。
「海鯽」の読みを「ちぬたひ/くろたひ」としています。
絵もあり、確実にクロダイを指していることがわかります。

完全に「くろたひ=ちぬ」としていますし、日本書紀のことも紹介しています。
また、色が黒くフナに似ているので「海鯽」とされたと書いてありますし、茅渟と呼ばれる和泉地方に多いからチヌだとも書いてあります。

微毒があるとされているのは不思議ですが、その他の文献でも毒に触れられています。
クロダイは雑食のため、河口で獲れた魚に衛生面で問題があったのかもしれません。

今の理解とほとんど変わらないと思いますが、ここでも尨魚(和名:久呂太比)となっています。「尨魚」を単純に踏襲していることには疑問が残ります。


水族志(1827年) 著者:畔田翠山 出身:和歌山
かなり分類がなされている図鑑ですが、絵はありません。
「黒鯮(クロダヒ)」という魚が、大和本草の鯛の記述にある「オスの大きいマダイ」のことだと説明されています。
確かにオスのマダイの老成魚は赤みが薄くなって黒ずみます。

また、こちらでは「烏頰魚(すみやき)」に3種あり、そのひとつが「クロダヒ」で、チヌとは別種なのに混同されていると書かれており、どうやらここでは「尨魚(ボウギョ)」のことを指していると思われます。

この2つの主張からは、和名類聚抄から始まったクロダイ呼称の混乱について何とか解明しようとする意図が伺えます。
学者だけでなく、庶民の混乱があったことも主張したかったのだと思います。

「チヌ」という項目もあり、本当のクロダイについてもきちんと説明しています。
ただ「クロダヒ」が「チヌ」の因島の地方名だとしており、クロダイという呼称が一般的なものではないとみなしています。

著者は和歌山の人です。
関東の呼称を把握する術がなかったのかもしれません。


ここでは多くの文献を紹介しましたが、写真もなく移動手段が徒歩しかない時代にこうした分類は至難の業だったと思います。
どうしても過去の文献に従う形になってしまうでしょうし、混乱したら立て直すのは容易ではなかったはずです。



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