色のアラカルト:日本人の青と緑① 明・暗・顕・漠

日本人の青と緑①


みなさん、こんにちは。

JOURNALの1つ目のシリーズは、『色のアラカルト』と題しまして、多角的な視点から「色」に関係するお話を不定期で紹介したいと思います。

物理学、心理学、生物学、文化人類学など、「色」は様々な分野で議論が展開されていますが、その奥深さと魅力を面白くお伝えできればと考えています。
私達Infigoが日々格闘している「色」について、少しでも意識を向けていただけますと幸いです。

初回の連載は日本人にとっての青と緑のお話です。
色々と歴史背景が面白いので取り上げてみました。

日本語における「青と緑」

問1:これは何でしょうか?
問2:これは何色でしょう?


答えは「青リンゴ」です。
そして、色は緑ですよね。

これが何色かと尋ねられて「青」と答える人はほとんどいないと思います。
でも、どうして緑色なのに青リンゴと呼ぶのでしょう。
しかも、英語ではちゃんとGreen appleです。

「青リンゴ」「青野菜」「青信号」「青虫」.......こうした青を含んだ言葉、私達は違和感なく使っていますが、かなり独特ですね。

 

そこで、この日本語特有の「青」の背景を調べましたので紹介いたします。

考察過程で、多くの興味深い題材にも巡り合いました。
そうした周辺のお話も交えまして、日本人の色彩感覚の変遷を数回にわたってお伝えしていきます。


明・暗・顕・漠

基本的に古代日本人には色名に当たる言葉が無く、その代わりに「明・暗・顕・漠」という太陽光に対する4つの感覚で色彩を表現したという説が有力です。

さらに、それぞれは以下のように4つの色になったようです。
 明:夜明けとともに空が色づいていく状態→明け/明らか:アカ
 暗:太陽が沈んでしまった暗い闇の状態→暗い・暮れる:クロ
 顕:夜が明けてはっきり見える状態→著(シル)しい
:シロ
 漠:夕暮れ時、周囲の風景が漠然とぼやけて曖昧に見える状態→アヲ

読みの由来は諸説あるようですが、今でもこの4種類だけはそのまま後ろに「し」や「い」を付けて形容詞になるので、日本語にとっては特別な色だと言えます。
「赤の他人」とか「白々しい」
のように、何となく元の意味が残っているような言葉もありますね。

当然「漠」が気になるのですが、「夕暮れ時、周囲の風景が漠然とぼやけて曖昧に見える状態」という説明から「漠」と「青」を結び付けるのは結構厳しいです。

しかしながら、「古代人は赤黒白以外は全て青だった」「寒色は全部青」のような説明が多く見られますし、黄色もオレンジも「最初は暖色が全部赤」だったようなのです。

「漠」から「アヲ」になったことを疑う意見は見当たりませんが、その経緯は全くの謎のようです。
アヲの語源も、「藍→アヲ」や「淡し(あはし)→アヲ」あるいは「生(お)う→アヲ」などの主張が見られましたが、どれも決定的なものではなさそうです。

これだけ不明点が多ければ、当初何をもってアヲとしていたかの意見はいろいろあって当然です



◆漠からアヲへ

ここで、最初のアヲがどんなものであったか考えてみます。

有力説によると、色相(色合い)とは関係のない「明暗」と「顕漠」の2組のセットを
 ①明るい:明 ー 暗い:暗       
 ②はっきり:顕 ー ぼんやり:漠
のような対比で示すことができるそうで、しかも
最終的にアヲには黒と白の中間色(つまり灰色)が含まれたとされています。

ただ、色相とは関係がないのに、ここから赤と青が生まれるというのは非常に想像しづらいですね。

まず、①が明るさの対比、つまり明度ということであれば「明・暗」はシロとクロになるのが自然なのですが、結果はアカとクロです。
また、②は彩度の対比だと考えても良さそうなのですが、「漠がアヲ」という結果が邪魔をします。

これについて、図を使って整理してみましょう。
明暗顕漠の領域をひとまず明度/彩度の図で示してみました。
色相に関係ないということは、赤でも緑でもこんな感じだと想像できます。



「ぼんやり」=「そこそこ明るいが彩度が低い」と考えて縦軸近辺を「漠」の領域としました。そして、明度が極めて高く彩度が低いところを「顕」、明度も彩度も低いところを「暗」にしてみました。

顕:よく見えないけど極めて明るい
暗:あまりに暗くて見えない
漠:顕・暗以外の「良く見えない」
明については手がかりがないので、はっきり見えそうな適当な範囲です。

確かにこうすればアヲに灰色が含まれるようになることも納得できます。

この「漠」のところの色は「灰がかった」と表現されることも多いです。


ただ、このままだと赤の誕生の説明ができません。
緑の図に「明」が出ているのは都合悪いです。

では、さらに都合よく最初は「明」が存在せず「明」が生まれる時点で色相を意識したと考えるのはどうでしょう。

妄想ではありますが、色相と関係なく「顕・漠・暗」の3種類が最初に生まれ、その後暖色系が全て「明」となり、さらに寒色系は「漠」に統合されていったとするとこんな感じになってうまくいきます。



つまり、「明」だけは最初から色名のように使われていたという都合の良い解釈です。
「明」は「夜明けとともに空が色づいていく状態」ですので、最初から空の色を意識していたとしても変ではないですよね。


妄想はさておき、結果的に「漠」はアヲとなり
 アヲ=寒色系全て+灰がかった色
となったそうです。

そして、アヲはさらに長い時間をかけて狭まっていくのです。


◆「初期の漠」の具体的なイメージ

漠という漢字は「さんずい」に「莫」
「さんずい」:青い水
「莫」:「草むらに太陽が沈んだ薄暗い状態」
このような分析で「青」と結び付けている意見もありました。

夕暮れ時/周囲の風景がぼやけて曖昧/草むらに太陽が沈む/薄暗い
ということで初期の漠のイメージを考えてみますと・・




こんな感じでしょうか。
無理に空が青っぽい画像も載せましたが、言葉通りだと後の2つに近いかもしれません。

やはり、最初は単に薄暗くなってよく見えない様子を「漠」と呼んでいたような気がします。
「もう漠だから今日はおしまい」のような感じだったかもしれません。

転じて、薄暗くなった際の光景・風景を指すようになり、そしてその寒く寂しい光景の感覚を「アヲ」としたために寒色系が全てアヲになったのではないでしょうか。



まとめ

日本人の最初の色彩認識は、今とは大きく異なっていることがわかりましたが、「漠」から「アヲ」への移行については未だ不明な点が多く、さらなる研究が望まれます。

ひとまず、漠はこんな感じで、

最初のアヲは「全寒色系+灰がかった色」でした。


次回はようやく色名が登場します。
色として認識されてからの「アヲ」の具体的な用例を通じて、その意味や使用範囲を詳しく探っていきます。




①   


当記事には筆者の推察が数多く含まれています。また、あくまでもInfigo onlineに興味を持っていただくことを目的としておりますので、参考文献についての記載はいたしません。ご了承ください。
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