色のアラカルト:日本人の青と緑⑩ 古事記のアカ (Part 4)

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日本人の青と緑⑩


今回は古事記の「丹」について考えます。
色に関係する「丹」の記述は3種類ありますので、時代順に見ていきましょう。


◆丹塗矢

まずは、神武天皇記の初代皇后誕生のお話に「丹塗矢」という表現が出てきます。
このお話の概要は以下の通りです。

大物主神が勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)という美女を気に入るのですが、大便しているところを狙い、丹塗り矢に化けて川上から流れていき、陰部(ホト)を突きます。その美女は驚いて走り去りますが、その矢を床の傍に置くと麗しく立派な男になったので結婚をすることになります。そうして初代皇后となる富登多多良伊須須岐比売(ほとたたらいすすきひめ)が誕生しました。その後「ホト」が良くないので、比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)と名を改めました。


これが丹塗りの初登場です。私たちが考える定番の「丹塗り」を意味しているのかはわかりません。

破魔矢

(画像元: 七社神社HP)


丹塗矢と聞くと赤い破魔矢が思い浮かぶのですが、これは「魔除け」の赤ですので少しずれているようにも感じます。

とは言え、当初の丹塗りは呪術的な意味合いが強かったと思います。
この場面では地位・権威の誇示といった側面もありそうです。

そうすると、この「丹」が太古から呪術で使用されてきたベンガラや水銀朱であると考えることができます。
赤土を顔料とした色は多数ありますが、ベンガラ以外だと「赭(そほ)」という色があります。
また、「真赭(まそお、まそほ)」とすると辰砂を意味する言葉になります。真赭は「真朱」ではなく辰砂そのものの色として定められているので、今回のテーマにはかなり合っています。

総合すると、この丹塗矢の色は以下のような感じに絞られます。

ベンガラ
#732a1e #c37a69 #ab6953

 

真赭 真朱
#d57c6b #ca4a58 #ab3b3a



破魔矢とは少し印象が違いますね。
やはり紀元前に真っ赤にすることは困難でしょうから、こういった推定になってしまいます。

なお、このお話を紹介している方々のほとんどが「山城国風土記の賀茂伝説」を合わせて紹介しています。
内容が非常に似ていて、丹塗矢も出てきますので別ページにて紹介しておきました。
是非比較してみてください。



◆引田部赤猪子の丹摺袖

丹摺りの袖という表現が雄略天皇記に出てきます。
雄略天皇の在位は5世紀です。

雄略天皇が三輪川(三輪山の南西を流れる小さな川)に行幸した際、川で衣を洗っていた「引田部(ひきたべ・ひけたべ)の赤猪子(あかいこ)」という女性に目を奪われ「宮中に呼び寄せるから嫁がずに待っていろ」と命じます。女性はそれに従いますが、待っている間に80年が経過し、耐えられなくなって多くの献上品を持って天皇の元を訪れます。天皇は全く覚えていませんでしたが、話を聞きひどく悲しみました。そして、残念で申し訳ない気持ちを歌に詠むのですが、それを聞いた赤猪子は涙を流し、丹摺りの袖を濡らします。


「袖を濡らす」という表現がありますが、赤猪子は「丹摺りの袖」を濡らしています。
「丹摺袖」は調べてもこの文しか出てきません。稗田阿礼の文学的センスが感じられる例だと言えます。

ひとまず「丹摺り」を辞書で調べてみると、「古代の染色法で赤土または茜などで模様をすりつけること」という説明が出てきます。

もし茜を使っているのであれば「茜摺り」と呼ばれるべきですが、それを「丹摺り」と呼ぶということは、この「丹」は間違いなく色名に変化しています。
その変化の時期はわかりませんが、古事記には青摺衣という表現も出てきますので、ひとまず「丹摺りの丹」は色名と捉えることにします。

アカネ 茜色
#b7282d

(画像提供: 庭木図鑑植木ペディア)

アカネという名称の由来は「赤根」です。
アカネの根を十分に乾かすと赤黄色に変化し、煮出すとアリザリンという赤い染料を抽出できるそうです。

吉野ヶ里遺跡においてはアカネで染色された絹が見つかっています。
また、魏志倭人伝には卑弥呼がアカネで染めた絹を魏の王に献上したと書かれています。
早くからこの染色手法が確立されていたということは、茜染めもあり得ます。

土やアカネで染めた物はこのような感じになります。

黄土(上)とベンガラ(下) いずれもアカネ


まずは布全体を染めているかどうかですが、ほぼ間違いなく丹摺りは模様を付ける行為です。
古事記に「染」という字は出てきませんが、「そめ」「しめ」という発音は以前紹介した、大国主とスセリ姫の歌のやりとり(内容についてはこちらを参照)にありました。

「阿多泥都岐    曾米紀賀斯流邇    斯米許呂母遠」
=あたねつき そめきがしるに    しめごろもを
=アタネの木の染料で染めた衣を

音表記である「阿多泥」の「多」が誤写で、「アタネ」は「アカネ」だとする主張もあるようですが真偽不明です。
いずれにしても、「染める」が存在する中での「摺る」なのですから、丹摺りは全体を染める感じではないと思います。青摺衣の青摺りも模様でした。

茜染めは非常に手間がかかるそうですが、部分染色であれば問題ないでしょう。
鮮やかな色の方がこの場面に合うはずですからアカネは外せません。
ただ、本来の「丹」である辰砂はそれ自体が非常に希少ですから、庶民の物に使われたとは思えませんので候補から外します。

そうしますと、何らかの柄がベンガラか茜で描かれていたと考えられます。
太安万侶が想定していた模様についてはわかりませんが、このような色で考えていたと思います。

ベンガラ
ベンガラ
アカネ

(画像元はこちら)

(画像元はこちら)

(画像元はこちら)




◆大刀の手上(たがみ)に丹画(か)きつける

「画きつけられた丹」が出てくるのは、淸寧天皇(雄略天皇の子)の時代のこのようなお話です。

山部小楯(やまべのおたて)という豪族の派遣先で宴会が催され、現地の男の子二人が舞を命じられます。この二人は兄弟なのですが、兄は二人が履中天皇の子孫であることを高らかに詠い上げました。
それを聞いた小楯は驚きのあまり台座から転げ落ち、その状況を嘆き悲しみ、仮宮を作らせて王子をそこに置き、都にこの事を知らせます。
すると、二人の叔母である飯豊王(いいとよのみこ)は非常に喜び、やがて王子たちは都に呼ばれました。


このときに詠い上げた内容は、武人である父親が皇軍で活躍しているときの様子で、その中に
原文:取佩、於大刀之手上、丹畫著、其緖者、載赤幡、立赤幡
意味:取った刀のつかに丹を(で)画きつけ、その緒に赤旗を付けて赤旗を掲げた
という部分があります。

非常にわかりづらい文ですが、この「丹」は何なのでしょう?

「画きつける」というのは「模様をつける」といった感じのようです。
赤い旗というのは皇軍を示す旗です。
つまり、装飾した刀で赤旗を掲げ、皇軍の力・立場を誇示したということになります。

この「丹」を色名としている現代語訳もあって非常に難しいのですが、そうであったとしても水銀朱を刀の柄に擦り付けていたということなのではないでしょうか。
希少な水銀朱を使うことは力の誇示になるでしょうし、赤旗との色彩バランスや状況を考えても、普通の土であるはずがないです。

古くから身体に擦り付ける風習もあったことですし、擦り付けたのであれば辰砂がピッタリだと思います。
勝利祈願の意味も込めて、出兵前に鮮やかな辰砂を刀の柄に擦り付けるという儀礼があったのかもしれません。

先に紹介した「真赭」は淡すぎてこの場面には合わないと感じますので、ここは「真朱」だけにしておきます。

#ca4a58 #ab3b3a #ef454a

 



◆墨坂神社の盾

最後に、以前紹介した墨坂神社の「赤盾八枚・赤矛八竿」(記事はこちら)に再度触れておきます。

矛はよく見えないので何とも言えませんが、盾は本朱だと思います。
魔除けという意味合いもピッタリです。
相当前から本朱で塗り継いできたのではないでしょうか。


墨坂神社Facebookより

古事記のアカ (Part 2)で触れましたが、天然辰砂で塗ったときだけ微細なキラキラが発生しました。
神社において同じキラキラに気づくこともありますので、天然辰砂由来の顔料がある程度入っていればわかることが多いように思います。

銀朱 真朱
#c73e3a #ab3b3a


本朱は独特ですね。
替えがきかない日本の色です。




◆まとめ

今回で古事記のアカの紹介が全て終わりました。
総じて難しかったですね。

「丹」は特に複雑でしたが、そもそも古事記の「丹」を色名と呼べるかは微妙です。

ただ「青摺衣」と語った稗田阿礼が「丹摺袖」と言ったのですから、この「丹」については色名として語られていると判断しました。

今回、丹摺りの袖の模様には茜とベンガラの色を選びましたが、この「丹」が色名ではないとすれば、土と辰砂の色だけが候補となります。



次回から「アヲ」に戻り、飛鳥時代から再開します。
お楽しみに。




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